NPO法人FUKUSHIMAいのちの水

メッセージリレー#2 『いのちの水代表 坪井永人2』

メッセージリレー#2 『いのちの水代表 坪井永人2』

つぼいサンタ2

こんにちは!FUKUSHIMAいのちの水スタッフの平栗です。
皆様のあたたかいご支援に支えられ、励まされ、プロジェクト達成に向け進んでいます。ありがとうございます!

代表坪井のメッセージリレー。前回の続きです。

MESSAGE RERAY #2

2017年3月24日Ready forでのファンドレイジングが始まりました。最初のスタートダッシュが大切だとの指導の中で、私は気をもみながらもある目的で上京しました。

その一つの目的は、今回のシリア支援のルートの確定をしたかったのです。以前から紹介を頂いていたある新聞社の方にシリア隣国の支援ルートの紹介をして頂くことでした。打ち合わせ場所には、その方とシリアの婦人が待っていました。
私の話を聞いてくださった記者の方は、婦人にこう言いました。「あなたの話していたことと同じですね。」その婦人の目にも涙がありました。その場で、現地に電話をかけて現地のキーパーソンにつないでくださいました。
そのキーパーソンの私に告げたルートは、今話すことは出来ませんが、中東で一番強いと思われるルートと言うことだけは出来ます。全く思いもよらないルートでした。これなら確実にシリア国境の難民に届くだろうと思いました。

シリア支援物資をリフトで詰め込む坪井

私は全くの一民間人です。志だけで物資の届く保証はありません。しかし、このルートならば、必ず届くでしょう。今後の日本からのすべての物資がどれほど多くても、このルートで難民に届くと断言することのできるルートです。今回の支援物資が届いたら、次回からは先方の許可があれば公開することが出来るでしょう。

ここに、私がシリア隣国のキーパーソンに送った手紙がありますので読んでください。

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親愛なる○○○先生

日本は桜が咲いて、一年中で一番美しい季節です。遠い○○の国は、どんな季節なのか思いを巡らしています。

私は、日本の福島でNPO団体の代表理事をしております坪井と申します。
2011年3月11日、日本はマグニチュード9.2という大地震に見舞われました。津波が日本の海岸250㎞を襲い、2万人の人々が死亡しました。津波に襲われた翌日から、福島第一原子力発電所の4基の原子炉がメルトダウン事故を起こし、周辺30万人の人々が避難しました。幸い、初期被爆被害はチェルノブイリに比して少数に止まりましたが、セシウム137による広範囲な土壌汚染は、福島県に住む35万人の児童を30年わたる晩成被爆の危険の中に落としました。政府と医学者は、健康に被害はないと繰り返しましたが、特に子供を持つ親は、強い不安を抱きました。放射能と子供の病気との因果関係の情報は少なく、心配する親は放射能フォビア(恐怖症)と診断されました。

母親サロン座談会 2013年7月の様子

私は原発から60㎞離れた郡山という都市に住んでいますが、そこでさえ2011年から2012年までは空中線量で2µsv/hあり、空気を吸うことさえ危険を感じました。私は、この様な低レベル放射能の危険が解明されていない現状では、安全と断定することは危険だと考え、2011年5月から福島の子供達のために、安全な水食料の配布を個人的に開始しました。現在まで、3800㌧500mlペットボトル760万本の無料配給を行ってきました。

水いっぱいの倉庫

2015年、アメリカに支援を求めるために行った時に、シリアの婦人に出会いました。彼女からシリアの子供達の惨状を聞き、シリア難民支援を決意しました。福島のお母さん達の涙も、シリアのお母さん達の涙も同じだと感じたからです。

2015年10月 アメリカ

私は、2011年のメルトダウン事故から6年の間、福島の子供達を守ろうとする戦いの中で学んだことがあります。それは、たとえ国家にどんな正義と大儀があっても、母親の手から子供の命を奪ってはならないということです。いいえ、どんな力が襲っても、母親は自分の子供の命を守り通すということです。アメリカでシリアの婦人の目に子供達への涙を見た時に、私は福島の母親達を思いました。シリアの子を助けることは、福島の子を助けることだと直感しました。

世界にはそれぞれの大儀があることでしょう。しかし、21世紀は、決して母親の手から子供を奪うような戦争をしてはなりません。又、その大義の故に、子供達を危険の中に放置するようなことをしてはなりません。

おかあさんといっしょ

日本に帰り、このことをFBで伝えると、あっという間に大量の衣類が日本中から送られてきたのです。2016年4月、衣類2万着、食料4万食を○○経由でシリア難民へ送りました。私は考えました。福島の子供達から中東シリアの子供達へ支援物資を送ろうと。それは、福島の子供達が、自分の安全を守りたいと願うならば、他者の安全を守らねばならないということを学ぶ機会になると思ったからです。私が千年に一度と言われた地震津波放射能災害という理不尽の中で学んだことはそのことでした。
理不尽な出来事の中では、どんなに他者を責めても物事は解決しない。唯一、他者との共生の中で、自己の安全保障を得ることが出来る、自分の子供を守ることが出来るのだと言うことです。

子ども

私はシリアに衣料、食料だけではなく、震災からの復興の中で不要となった仮設住宅を送りたいと考えています。しかし、私のような民間人が中東にこれらの物資を送ることは極めて困難なことです。前回の○○経由の支援でもそのことを思い知らされました。

そこで信頼する○○○氏に相談したところ、○○○先生と○○○さんを紹介されたのです。○○○さんの目には、アメリカで会ったシリアの婦人と同じ涙がありました。彼女は○○○先生のルートを通してシリアの難民に物資を届けることが出来ると私に言いました。

○○○先生、福島の子供達からの支援物資を中東シリアの子供達に届けてくださいませんか。このことが、福島の子供達とシリアの子供達が一緒に21世紀を生きて行くことの手助けとなるように、先生の力をお貸しください。

私は出来ればこのことのために、○○を訪問したいと考えています。子供達のために人生の最後の時間を使いたいと思います。本当に深い考えもなくじたばたするだけの事なのですが、せめて、福島の子供達に、あなた方を見捨てなかったという歴史だけでも残してやりたいと思うからです。

                   2017年4月 さくらの頃     
○○○様
感謝して    坪井 永人

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実は、その日の上京のもう一つの訪問先は、日本一大きな団体だったのです。これもまだ公表することができません。なんと出てきた担当者が、子育て中の女性だったのです。福島の状況を聞いてこういいました。「私達は以前から、福島に水を届けたかったのですが、そのルートがありませんでした。あなたに差し上げましょう。」その量は、福島の子供達だけでは消費できない量でした。私は考えました。これをシリアに送ろう。衣類だけではなく、水食料も、おそらく長年にわたって支援することの出来るような量です。

今回のファンドレイジングはシリアへの一回の船賃です。私達はそれを目標に走っています。しかし、その日私達はもっと遠くの景色を見せられました。私達は福島もシリアも十分に支援することの出来る泉にと水路に出会ったのです。

配布場に立つ坪井サンタ

私には、そう長く子供達のために働く時間は残っていないかもしれません。しかし、福島の子供達への理不尽な歴史のおかげで、私の目は遠くの子供達を見ることが出来ました。こんな可愛い子供達を見させてくれた災難にむしろ感謝をしたいくらいです。きっとこの仕事は、この子達の21世紀をよくするでしょう。やがて、子供達が大きくなった時に、あのプロジェクトのおかげで、僕達の世界は、これだけ良くなったと言ってくれる時が来ると、サンタになって思います。

サンタはきっと死ぬまでサンタをやめることは出来ないでしょうね。
       
 2017年4月   さくらを待ちながら、
    あなたの中のサンタさんへ         福島のサンタより

みんなといっしょに

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