NPO法人FUKUSHIMAいのちの水

メッセージリレー#1 『いのちの水代表 坪井永人1』

メッセージリレー#1 『いのちの水代表 坪井永人1』

こんにちは!FUKUSHIMAいのちの水スタッフの平栗です。
いのちの水新聞やHP等で知っておられると思いますが、クラウドファンディング『Ready foy』にて、~紛争地・シリア難民の子どもたちへ福島から支援物資を送りたい!~と題し、シリア難民支援物資の輸送費を募っています。https://readyfor.jp/projects/jjc10033001

その中でいのちの水を支えて下さっています方々からの、メッセージを頂くメッセージリレーを開始しました。
フェースブックにもシェアしていますが、見ることが出来ない方も多いと思いますので、ブログでも合わせて掲載します。(以下どうぞ!)

坪井と子供たち

皆様のあたたかいご支援に支えられ、励まされ、プロジェクト達成に向け進んでいます。ありがとうございます!

今回より、『メッセージリレー』をスタートします✿
FUKUSHIMAいのちの水を支えて下さっている、多くの方々の声を通し、いのちの水の軌跡とシリア難民支援に対する思いをお届けします。

第1回目は、FUKUSHIMAいのちの水代表理事の坪井サンタさんです!
思いがあふれるメッセージ。
2回に分けてお伝えしようと思います。

MESSAGE RERAY #1

代表のサンタです。
昔はツボイと言ったのですが、2011の原発事故後、サンタという名前になりました。
その物語をお話しします。--

2011年3月11日、私は東京の中野駅のホームにいました。突然の揺れに立っていることが出来ませんでした。それがあの東北大震災の地震だったのです。
福島県の郡山まで帰るのに、結局三日かかりました。やっとたどり着いた家のテレビには、爆発する原発の画面が流れていましたが、阿武隈山脈を越えて60㎞離れた原発から、放射能が自分の住む郡山まで届くとは思いもよらなかったのです。

2011年5月水荷卸し

2、3か月経ってようやく、自分が放射能の被災者だと分かりました。私は年寄りだからいいが、子供達は、・・・・気づくと、周囲から子供の声が消えていたのです。子供の声の聞こえない世界、それは恐ろしい世界でした。

2011年夏。トラックで幼稚園へ

何とかしなければならない、国が何も出来ないのなら、自分達で子供達を守らなければならない。何をしたらいいのかを教えてくれる人もいない中で、ともかく水を配ろうと、ひたすらに水を配り続けました。気がつけば760万本/500ml、3800㌧になっていました。

倉庫前の様子

2015年、放射能問題に対する国内の支援は難しくなり、アメリカに支援を求めて渡った時、一人のシリア人の婦人に出会いました。彼女が見せたシリアの子供達の写真、彼女が流した涙が私に決意させました。シリアの子供達を助けようと。彼女の涙を見た時に、私は:福島の母親達の涙を思い出しました。同じ涙だ、と思ったのです。あまりにも理不尽な出来事が、子供達の命を奪おうとしている。これもあれも助けなければならない。FBでの発信に1か月で10万のアクセスあり、衣類は40フィートコンテナ5台分位集まってきました。

毎日仕分け作業に追われました

2016年4月、1回目のシリア難民支援物資、40フィートコンテナ1台2万着の衣類、20フィートコンテナ2台4万食の食料をシリア隣国のNGO経由で無事送ることができました。

次回へ続きます・・・。

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