3,11を想う
3,11を想う
2021年3月13日の配布風景。(逢瀬町多田野)
13日は一日雨で寒い日でした。
10年前の3.11は雪で、とても寒かったのを今でもはっきり覚えています。(小6の娘と一緒に、停電、水道管破裂で水びだしになったビルから、車に避難し余震と寒さと不安に怯えたあの日。原発が爆発するとは全く考えてなかったです。)
2012年 方八町配布場駐車場 母子
2012年5月 会員制初日 受付に並ぶお母さん方(方八町)
「昨日卒業式でした。」と、方八町の頃から来られているお母さんが言いました。あぁ、そんなに時がたち、子供たちは大きくなったんだなぁと思い、そのお母さんと一緒に感慨深い思いになりました。「ないないづくしの日々でした。」とぽつっといった言葉が心に残ります。
何もわからない状況の中、一番危険と思われる、妊産婦、乳幼児を助けようとの一心で始まったFUKUSHIMAいのちの水。3年過ぎた頃から、緊急支援は終わり助成金もなくなりましたが、我が子を案じるお母さんたちはなくならず、その切実な思いに応えるため継続し、気づいたら10年が過ぎました。
2013年 キッズスペースで遊ぶ子供たち(方八町) もう7年前ですね。
今は、放射能災害支援活動から防災備蓄活動へ移行しましたが、福島の子どもたちのために、は変わりません。
2013年 母親サロン座談会 今も続いています。
震災当初から、変わらずご支援くださる団体、個人の皆さん、北海道から鹿児島まで、国外からもボランティアに訪れて下さった方々、お祈りによって支えて下さった皆さん、多くの方々によって支えれ、子供たちは成長しています。ありがとうございます。
10年の歩みをFUKUSHIMAいのちの水新聞へ少しづつ載せていますが、ブログにも載せていきたいと思います。できれば10年史が作成できるといいなぁ。meg
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