NPO法人FUKUSHIMAいのちの水

能登地震支援

能登地震支援

支援物資輸送の様子

搬送の様子
水、毛布、生理用品、携帯トイレ、おかゆ、救急セット、カセットコンロなど詰め込む様子


搬送の様子
1/4 ストックポイントのある内灘聖書教会、金沢の老人市施設へ

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オペレーションブレッシングジャパンの皆さんと


画像の説明
FUKUSHIMAいのちの水から提供されたミネラルウォーターを、石川県七尾市の特別養護老人ホームに届けるオペレーション・ブレッシング・ジャパンスタッフ

1/5 内灘役所へ
1/5 内灘役所へ 水800~1000ケース

届けられた水
満載の水がストックポイントの内灘聖書教会へ届けられました。

内灘聖書教会へ
現地の皆さんが水を手おろしされる様子

珠洲市総合病院で
珠洲市総合病院にて。病院スタッフの方々が水降ろし。

珠洲市総合病院で、手術のための水がないということで、10トン車1車に水を800~900ケース乗せ、8日に出発しましたた。10日七尾から穴水渋滞、10日夜半能登到着。11日午後4時荷下ろしが無事終了しました。上の写真は病院職員さんが手で荷下ろししている所です(運転手さんが写真を撮っていました。)トラック運転手さんは、能登に入ってから食べるものがなく(コンビニ等なし)、一日何も食べずに帰ってこられました。

珠洲市の様子 ドライバーさんが撮った写真
ドライバーさんが撮った珠洲市の様子


以下坪井サンタさん
『結局4日もかけて、珠洲市の総合病院まで届けました。途中ドライバーがどれほど苦労してるかと思い、電話をかけ「危険な所に行かせて、本当にすみません。」と謝ると「いや~大丈夫です」と笑って答えてくれる声をきいて涙ぐむ思いをしました。
なんとか被災地を助けるために、見えない所で誰かが重荷を背負って働いているのです。ドライバーには「かかっただけ費用は払います」と約束して、ともかく、助けを待つ被災者第一として支援を続けなければなりません。』


水を積む坪井
七尾市役所へ運ぶため水を乗せる坪井


その後、七尾市役所からの要請で、11日に10トン車1車の水をいのちの水倉庫で積んでいました。そしたら、その運転手さんが、先日珠洲市まで行ってくれた方でした。大変な思いをさせてしまったドライバーの方に会って、お礼をしないといけないと思っていたサンタさん。中に入り、その時のことや写真を見せていただきました。そして、お詫びとお菓子を差し上げることが出来ました。心から感謝です。

七尾市役所へ
七尾市役所へ届いた水の一部

1月2日からの緊急支援は落ち着てきました。被災地からの要望により物資を送ることは続きますが、これからの震災にむけてのシステム作りに導かれております。

バヤリースオレンジをトラックから降ろす能登ヘルプのスタッフ
バヤリースオレンジをトラックから降ろす能登ヘルプのスタッフ

写真は能登町の特別養護老人ホーム「こすもす」へ届けられた、いのちの水からの物資です。水、毛布、オレンジジュース、葉物野菜、紙コップパン、アルファ米など。

手前の箱は葉物野菜
手前の箱は毎月サンタデーで配布されている葉物野菜。サンタハウスより積んでいったものです。

水を奥の家々に届けるため、ワゴン車へ水を詰め込むスタッフ
水を奥の家々に届けるため、ワゴン車へ水を詰め込むスタッフ

2月1日、要請のあった生活用水を輪島市役所へ。
坪井サンタさんは、2月5日にキャンピングカーに満載の物資(この時はほぼ非常用トイレ類)を積んで能登へ、2トンダンプカーに乗り換え福島へ持ち帰りました。能登に送った水が通行止めで奥能登まで運べなかったので、土木屋さんからダンプを借り、輪島、珠洲まで水を乗せ換えて運んでいた車です。
今日2月26日、再度要請のあった生活用水を能登町こすもす特別養護老人ホームへ。本日で、能登地震初動支援は終了しました。能登地震支援募金により、200万の輸送費も満たされました。ありがとうございます!

生活用水をトラックに乗せる坪井
あられが降る中。生活用水をトラックに乗せる坪井


トラックの運転手と坪井
能登支援最終日。トラックの運転手と坪井サンタさん。

画像の説明
こすもす特別養護老人ホームへ無事届きました。荷下ろしの様子。

約2か月の間、100トンを遥かに超える水、他に生活用水、飲食品、防災用品を無事届けることが出きました。常駐スタッフ2名の団体が、こんな大量の物資を震災直後から送ることが出来たのは、13年に渡るFUKUSHIMAいのちの水の活動があったからです。福島の子供達を心配する母親、家族がいたからです。スタッフ2名の背後にFUKUSHIMAいのちの水を訪れた約2万人の福島の人々がいたからです。
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坪井サンタさんからの報告と支援表詳細

能登半島地震支援活動のご報告と募金の御礼

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特定非営利活動法人FUKUSHIMAいのちの水 
理事長 坪井永人

2024年1月1日午後4時、マグニチュード7.6、震度7の石川県能登半島地震が発生しました。2011年の東北大震災を思わせる光景に、胸の痛くなる思いをしたのは、私だけではないと思います。
元日の第一報を聞いて、私達はすぐ支援を開始しました。
幸いにして、2011年の東北大震災の時から今日まで、ミネラルウォーターを福島の子供達に配り続けておりましたので、手元にある水を即座に被災地に送ることができました。被災地は度重なる余震、豪雪に見舞われ、輪島、珠洲への10トン車での輸送は困難を極めました。私達の倉庫から水を積んで、まだ危険な状態にある被災地に向かうドライバーに、私が礼を言うと、彼らは一様に「3.11の時に助けられたのだから、今度は俺たちが助ける番だ。」と笑って言いました。1月9日には、珠洲に向かう10トントラックが、雪、通行止めで走れなくなり、被災地に状況を聞いても、混乱の中で対応が難しく、トラックを現地に待機させざるを得なくなり、結局4日間もかけて珠洲の総合病院まで届けました。ドライバーがどれほど苦労しているかと思い、電話をかけ、「危険な所に行かせて、本当にすみません。」と謝ると、「いや~大丈夫です。」と笑って答えてくれる声をきいて、涙ぐむ思いをいたしました。
2月に入り、初動支援1か月を過ぎ、不通だった穴水から輪島間の道路も復旧し、10㌧車が通れるようになりました。支援物資、ボランティアも現地入りすることが出来るようになり、初動支援期を過ぎ、生活復興支援への移行を受け、当方の初動物資支援を終了いたしました。1月2日から物資を送り始め、初動期に100トン程のミネラルウォーター、食品、毛布等を被災地に搬入することが出来ました。
2011年の東北大震災の中で、私達も能登と同じ悲しみを経験しました。同時に、どれほど悲しみが大きくても、人は必ず立ち上げることが出来るということも経験しました。そして、今回の支援が3.11からの日常の支援の延長として為されたことを感謝いたしました。福島の子供達を助けることは、能登の子供達をも助けることが出来る。これは大きな学びでした。
私達はこの働きを続けます。次の災害の時にはもっと多くの人々を助けることが出来るように、日常の支援を継続拡大して、当たり前のように、被災地を助けることの出来るシステムを作り上げることを、改めて心定めております。
今回の支援を支えてくださった皆様への、心からの感謝を込めて、能登支援報告をいたします。

能登半島地震支援表  

No 搬入日 容量 内容 荷下場所
① 1月4日 2トン車  毛布、トイレ、生理用品等、生活物資 内灘聖書教会倉庫
② 4日 ワゴン車  ミネラルウォーター 金沢市養老施設  
③ 5日 10トン車 ミネラルウォーター 内灘町役場
④ 6日 10トン車 ミネラルウォーター 内灘聖書教会倉庫
⑤ 7日 10トン車 ミネラルウォーター 七尾市役所
⑥ 8日 マイクロバス 生活物資、ジュース、サイダー 内灘聖書教会
⑦ 9日 10トン車 ミネラルウォーター 内灘役場
⑧ 9日 10トン車 ミネラルウォーター 珠洲総合病院
⓽ 11日 10トン車 ミネラルウォーター 七尾倉庫
⑩ 11日 2トンダンプ ミネラルウォーター 能登町福祉施設 礎会
⑪ 13日 10トン車 ミネラルウォーター 七尾倉庫
⑫ 20日 10トン車 ミネラルウォーター 七尾市役所
⑬ 20日 2トンダンプ ミネラルウォーター 輪島市気勝平町集会所
⑭ 30日 10トン車 ミネラルウォーター 輪島市役所
⑮ 2月2日 10トン車 生活用水 輪島市役所
⑯ 5日 トレーラー 生活物資 七尾倉庫
⑰ 17日 10㌧車 オレンジジュース 七尾倉庫
⑱ 27日 10㌧車 生活用水 能登養老施設

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